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ドイツの聖マルティン祭。ザンクト・マルティン(St. Martin)やランタンの簡単説明♪

毎年11月11日に行われる聖マルティン祭。

 

ドイツでは10月31日のハロウィンが終わると、11月11日に聖マルティン祭が行われます。

 

10月頃から幼稚園や小学校で提灯を作り始め、みんなで歌の練習をします。そして、マルティン祭の日が近づいてくると、子供達が同じ歌をいつも口ずさむ様になり、冬の到来とクリスマスシーズンの幕開けを感じるようになります。

 

今年も幼稚園と小学校で聖マルティン祭のお祝いが行われ、ランタンを片手に一緒に街を歩いてきました。子供達が歌う「Laterne, Laterne, Sonnen, Mond und Sterne...(ラターネ、ラターネ、ゾンネ、モンド ウンドゥ シュテルネ)」と「St. Martin, St. Martin...(ザンクト・マルティン、ザンクト・マルティン)」の歌が今でも頭から離れません。 

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毎年、幼稚園や小学校で行われ、子供達がとても楽しみにしている聖マルティン祭。子供達は一体どこまで理解して、ランタンを作り、歌を歌っているのだろう?と気になってしまいました。そこで、今回は子供にもこれからきちんと説明できる様にと、ザンクト・マルティンについて調べてみたので、まとめてみたいと思います。

 

ザンクト・マルティンって誰?

316年もしくは317年に当時はローマ帝国の支配地、現在のハンガリーに位置するサバリア(Savaria)という町で生まれました。マルティンの父はローマ将校。兵士になることは自らは望んでいなかったものの、15歳で兵士になり、ローマ帝国の皇帝 コンスタンティヌス1世の護衛官になりました。

 

その約2年後、マルティンは兵士として現在のフランスの北に位置する場所にいました。凍てつく冬の寒い日、数人の兵士と街に出た時、貧しく裸も同然の格好の老人に出くわしました。寒さのせいで震えながら、「寒さから救って下さい。」と兵士達に物乞いをします。兵士達はその乞食の姿を見て、助けようともせず笑い物にします。

 

しかし、マルティンは同情します。が、何もあげるものがありません。そこで、羽織っていた赤いマントと自らの剣を手に取り、自身のマントを半分に切って、片方は自身の肩にかけ、もう片方は乞食にあげたのです。

 

翌晩、マルティンは夢を見ます。マルティンがあげた半分のマントをまとったイエスが現れたのです。神の子であるイエスは、「使徒の一人にした事は、私にした事なのです。」と伝えます。『誰かに何か良い事をすることは、イエスに良い事をするという事。イエスは全ての人間が好きです。特に貧しい人が。なので、貧しい人が助けられると、イエスはとても幸せなのです。』と伝えたのです。つまり、マルティンは前日、乞食を助けたと同時にイエスをも助けたという事。このマルティンの行いこそが今でも讃えられ、助けを必要とする人を助けるという模範となっているのです。

 

夢を見たこの日から、マルティンは神を信じる様になり、洗礼を受けます。また、聖職者になる為に兵士を辞め、1人で沢山お祈りをする様になりました。彼にとって高価な家具や物を所持することは重要ではなく、ただ神とお祈りだけが大切になりました。

 

少し時間が経ってマルティンは、フランスに修道院を2軒立てました。そこでマルティンは、自身の様にお祈りをしながらシンプルな生活を好み、物を持つことを必要としない人に沢山出会います。また、悩みを抱えている時にマルティンに助言を求める人も沢山出てきました。

 

数年後、マルティンが住んでいた街ツール(Tours)で新しい司教が必要となりました。マルティンを敬服する住民は、マルティンが司教になって欲しいと望みます。しかし、マルティンは孤独の中での生活を好み、また自らが良い司教になれるか自信がなく、住民達に見つからない様にガチョウ小屋に隠れます。しかし、檻の中のガチョウはガーガーと大きな鳴き声で泣いてしまい、見つかってしまいます。そして、最終的にマルティンは司教となり、布教活動を行うと同時に、貧しい人や除け者にされた人を助け、様々な偉業を成し遂げたのです。

 

マルティンは397年11月8日、81歳で亡くなります。お葬式は、3日後の11月11日に行われました。彼の死は、フランスの国境を超えて知れ渡り、沢山の人が遠方からもお葬式に駆けつけました。今もなお、お墓に訪れる人は後を絶たないのです。

 

マルティン祭って何? ランタンの起源は?

ザンクト・マルティン

マルティンが亡くなった11月8日ではなく、埋葬された11月11日に聖マルティン祭が行われます。(現在、幼稚園や学校の催しでは11月11日前に行われることがほとんどです。)

 

1800年頃までは、マルティン祭は前日の日暮れに行われました。そして、教会では日暮れに向けて光のお祭りが行われ、宣教師は住民に「協会の光の様に、暗闇の光になりなさい。」と伝えたのです。すると住民達は外へ出て、火を起こし始めました。子供達は、木を集め、大きな焚き火を起こしました。これが現在子供達が持つランタン=光の起源になっているようです。

 

しかし、当時木で作られた家がほとんどだった街や村では、この焚き火はとても危険であり、批判される様になりました。そして1900年代になって、今もなお行われる

 

『手作りの色鮮やかなランタンを片手に行列を作り、本物の馬に乗る赤いマントをまとったザンクト・マルティンに扮した男の後ろを、歌を歌いながら歩いて行く』

 

という形に変わっていったとされています。ランタンを持って歩くという風習は、当初の子供が作る焚き火の代わりとされているようです。

 

歩いて行った先にある広い広場に着くと、寸劇が始まります。寒さに凍える貧しい人が焚き火の前で座っています。そして、ザンクト・マルティンがその人に自分の赤いマントを剣で切って渡し、助けてあげるのです。

 

寸劇後は、マルティン祭でお馴染みのWeckmannが配られたり、フルーツポンチを飲んだりして体を温めます。

 

子供が1番楽しみにしているGripschen

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(ヤルヤルーと言って張り切って出かけるわりに、いざ歌う場面になるとうつむき気味にめちゃくちゃ小さな声で歌う長男君。それでも、沢山お菓子を頂きました。)

 

そして、いよいよ子供達が楽しみにしているGripschen。

 

寸劇を見終わったら、お友達と一緒にランタンを持って明かりのついた近所の家やレストラン、お店を訪れます。そして、好きなSt.Martinの歌を大きな声で歌って、お菓子をもらうのです。

 

私達が子供の頃はお菓子などではなく、(健康に良い)みかんやりんごが主だった様ですが、最近はチョコレートやハリボーなどのグミ、あめちゃんがほとんどで、子供達が首を長くしてマルティン祭を待ちわびる理由にもなっています。

 

地域によっては、聖マルティン祭の後だと夜遅くなってしまうので、別の日にGripschenを行う所もあります。今年は、我が家の住む街も別の日に設けられていて、先週はザンクト・マルティンの行事が盛りだくさんでした。

 

「聖マルティン祭って何?」と疑問に思っている方に、少しでもお役に立てれば嬉しいです♪

 

最後に

聖マルティン祭が終われば、いよいよクリスマス。

 

日本では12月は師走と言われますが、ドイツでは11月からすでにいろんな準備に追われます。12月1日から始まるアドベンツカレンダーの準備から始まり、アドベンツクランツ、12月6日の聖ニコラウスの日のプレゼント、そしてクリスマスのプレゼントの準備などなど。クリスマスを終えたら、ふっと心が軽くなって「今年もやり遂げた~!」と達成感を感じる私。

 

これから暗くなるのも早くなり、ますます寒くなりますが、風邪を引きませんように。そして、今日もストレスレスな一日になります様に☆