【バイリンガル育児】ハーフの子供の日本語学習は親のエゴなのか?を考察してみた。
土曜日はお店が早く閉まり、日曜日は基本的にお店が閉まるドイツ。
だからこそ(?)、週末は家族とのんびり楽しむドイツ人。
ハーフっ子を育てているママの中には、そんな週末に日本語補習校へ通わせて日本語学習をさせる事、そしてそもそも海外に住んでいるにもかかわらず日本語を話せる様になって欲しいと願う事自体が『親のエゴだ』という意見があります。
個人的には、「エゴとはまた違うんじゃないかなぁ」と思いながらも、日本語の宿題やテスト勉強をさせる中で親子関係にヒビが入ってしまいそうになる時には「やっぱりエゴなのか?」と思ってみたり。
そこで、今回は「ハーフっ子の日本語学習は親のエゴなのか?」について、個人的な思いをつらつらと綴ってみたいと思います。
習い事の1つと捉えると
確かに日本語学習は子供にとって苦痛以外のなにものでもない。好きでやる音楽系や運動系の習い事に比べると、日本語学習は勉強であり、子供にとって楽しい習い事にはならないし、ましてや補習校で出される宿題は、ドイツの現地校で出される宿題の量より多かったりで、子供は「なぜ僕(私)だけ?」となってしまう。
でも、ピアノを習えば毎日練習をしないと上達しないし、サッカーが上手くなりたければ猛特訓が必要。何事も努力・継続なしに実力はつかず、日本語学習も例え子供の意に反していたとしても、少なくとも継続していくことで何か身につくものがあるはずだと思うと、ハーフっ子に日本語学習を強いる事は、決して親のエゴではないと思っています。子供が望まない習い事やお受験を親のエゴというのであれば、ハーフっ子が望まない日本語学習は親のエゴなのかもしれませんが。
子供の将来の可能性の引き出しを増やしてあげる
子供にとっては「今」「この瞬間」が大事。
だから、日本語学習の為や、ましてや補習校に通っていれば土曜日に遊べなかったり、宿題のせいでお友達と遊べなかったりすると、文句もあるだろうし嫌になるでしょう。だからこそ、将来を見越して、子供の可能性の引き出しを少しでも多く与えてあげられる親であるママ・パパが日本語学習を諦めずに少しでも日本語が理解できるように育てていくことは、決して「親のエゴ」ではないと思うのです。
例え完璧でなくとも、読み書きができる土台を作ってあげておけば、大人になって漢字の勉強をしようと思った時に、漢字学習が楽に進むだろうし、日本語が少しできるという事は必ずしもマイナスにはならないと思えば、日本語学習を「親のエゴ」と考えて、諦める事だけはしたくないなと個人的には思っています。
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理想は
習い事もやってお友達とも遊んで、自由な時間をたっぷり与えながらも、日本語の学習を進める。これが理想です。
でも、実際は日本語に当てられる時間は限られていて、ましてや漢字の学習なんて進まない進まない… 正直、親の私がなんで日本語はひらがなにカタカナに、ましてや漢字まであるのよ~!と恨んでしまうくらいです。
まとめ
長男君の日本語読み・書き学習をみていると、知覚から入って来るものがないハーフっ子にとっていかに読み・書き学習がハードルの高いものなのかを実感します。そして、親子の関係も日本語学習のためにギスギスするというのもよく聞く話です。
それでも私は、子供達が大人になった時に、「どうして日本語ができないんだろう。」「どうしてママは日本語を教えてくれなかったんだろう。」と子供達自身が思わない様に、子供との関係が少しギスギスしても、そのギスギスをどこかで調整しながら、子供の日本語学習を進めたいと思っています。
海外に住むハーフっ子にとって日本語学習は大人のエゴなのか否かは、親の方針にもよるし、「エゴである」「エゴでない」として決して簡単に白黒がつけられるわけではありません。親である自分も含めて、将来後悔しない様に進めていくのが良いんだろうと。そして大切な事は、『決して完璧を求めない』事だと思います。
年老いた時にやはり母語である日本語で子供達と会話がしたい。そんな私の我が子にとっては、日本語学習が例え我が子にとって強制となれども、なんとか上手く細く長く継続していけたらなと、小学校二年生にして漢字の学習に超苦しんでいる長男君と日々格闘しながら願う母でした。
今日もストレスレスな一日になります様に☆
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